大学が意味ないと思う点
大学では、福岡の親友が当時はできました。
仲が良かったのは一人です。
で、入学式のとき、僕に話しかけてきて意気投合した年上の人が、その翌日、挨拶をしても話が続かなくなりました。
僕はそこで、大学でシカトされている気がしていきました。
シカトされているっていうのは実際で、他に入学式から近いまた意気投合したグループの人と話し、「カニエって名前面白すぎだろ?あの教授wで、プログラムとかそんなん分からんしw」と言い合っていた友達たちに、後日話すと、「コイツこんなことしか言えんのだろ?」と仲間の一人に言われて、気分悪くなりました。
で、後々、福岡の友達が一人できたというわけです。
でもその友達は、僕の携帯電話を勝手に取り上げ、「今から松本が少林サークルに入部します!」と部長に電話する始末。
その少林サークルでも、孤立、無視されるんで、友達がタバコ吸ってるところに来たら、「お前はくんな!!💢」と怒られた。色々と苦痛だったら、福岡の友達が半年で退部。
僕は独り残されたのだ。
大学で独りになって、昼食を階段の近くで食べるようになると、僕だけここで食べるのか・・・と苦痛でした。
学食は、いつも満員で、独りで食べれる席が無いんです。
そこで、母がアルバイトをしろ!とキレてきたので、うどん屋の皿洗いのバイトに行くんですが、そこのおばちゃんに、「大学生にもなってから!のっそのそ動いて、もうやらんでええ!!💢」と怒られたり、「松本くん、まだそんな時間かけて一つのもの洗っているとね・・・?」とかアルバイトの女性に、「松本君、スープ見とると?w」と揶揄われたり。
辞めた後も、「は~~~松本君が辞めれて良かった!」とおばちゃんに言われる。
母が、次もアルバイトを探さんね!💢って怒ってきたので、冬になるとちょうど自転車の駐車場でチラシを配っている人が居た。
なんと、郵便局のバイトだ。
僕は、これだ!!っと思い、バイトしてみることに。
公務員の方の割に、ピアスをしている先輩も居たし、なんだか嫌だな~って働いていたら、先輩に、「おまえ、次、ちゃんとせんかったら、殴る!💢」と怒られた。
そこで、知り合った年上の、同じ大学の先輩と少し話すようになって、学校で、先輩が友達と歩いていたので、話しかけたら、「お前はついてくんな!!💢」と大声で怒鳴られた。
周りの先輩の友達も驚いている感じでした。
英語の履修の時は、「はい、今からグループを作って会話してくださーい!♪」と言われると、周りは友達を作って僕以外と組む。
僕は英語の履修はダメだと思い、諦めた。
で、大学一年生の頃の体育系教授が、大学二年ぐらいのときに、「まつもとぉ、お前、なんで少林寺辞めたんだー?惜しいことするなー」って言われたが、できるわけないだろっと心で思った。
大学3年の初めだったか、僕が黒板に文字を書けなくておどおどしていると、「はよ書けよ・・・コイツ!」と聴こえるように陰口を言われたり。
大学4年になると、卒論といって、研究した内容を皆の前で発表しないといけなくなる。
それで、卒論の人とグループで組んで仲良くしないといけないんだけど、僕が挨拶や世間話を持ち掛けても全員無視。
無視の上に、みんなは楽しそうに話し合っている。
で、明らかに僕が毎日挨拶をするんで、爆笑したのか、ある一人が話しかけてくれた。
そこで、皆が僕と話すようになり、なったは良いんだけど、15kmぐらいの自宅に来てー、と呼ばれることが多かった。
原付で僕は行くんだけど、花園までか・・・。
っと僕は一人で愚痴ってました。
で、何とかギリギリで卒業できました。
会社は、試験じゃなく面接のみで、愛知の高卒歓迎の工業系の派遣会社に勤めたというわけです。
大学生の頃は、外では美容学校のヤンキーに絡まれて殺されそうになったり、大事でした。
で、なんとか卒論を発表できたというわけです。
そして、会社でも、毎日怒鳴られて、統合失調症を発症し、ずっと無職って感じなわけですね・・・。
ここで良くなかったのは、父が僕を大学に無理やり行かせた点。
僕は音楽系の大学じゃないと大学は行きたくないなって言ってました。
ま、軽く話すと、こういう感じですが、まだ色々ありました。
ありました・・・。
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