- 2024年8月3日
- 読了時間: 1分
僕の父の兄弟の息子は二人、不審死で亡くなっている。
母の姉も不審死で亡くなっている。
今日は母に、母の姉の不審死について詳しく教えて貰いました。
母の姉は、熊本から福岡の博多の方の団地で暮らしていたらしい。
僕の家族は、その姉さんを、「明太子のおばちゃん」と呼んでいた。
なぜ明太子のおばちゃんかと言うと、飽きる程、明太子を僕の家にくれていたからですね。
その母の姉は他人にお金を貸していたらしい。
返済を、姉さんはしていたところ、返してもらう気配がなかったと。
その後に、姉さんがガス自殺という形で不審死している。
なので、母は、そのお金を貸していたうどん屋の人物に消されたと訴えていたみたいですね。
でも相手にされなかったと。
というのを、母に聞いていました。
貴重な情報なんで、聞いてました。
なんか、僕の両親も苦労が多いなって思うんですよね。
母の先祖は熊本なんで、福岡人ではないわけですね。
母は、姉は都会が好きだったんだろうねって言ってます。
うぅ~む、なんっか、不審死が多いよなぁ。
- 2024年8月2日
- 読了時間: 4分
更新日:7月11日
僕が中学生の頃の、1999年6月21日のリンチ被害あった全貌を新解釈しようと思います。
その日、僕は親友と学校の帰り道、親友が僕の家の近くまで行くと遠くなるからと言って、僕が距離を合わせて、話に付き合って貰っていた。
場所は言えませんが、八百屋の近くと言っておきましょう。
そして、不良グループの男女8人組が集団で帰っているのが見えました。
僕は、親友に、「なんか殺気を感じない?不良グループから」と言ったら、親友が、「大丈夫、いざという時は俺の必殺拳法がある」と言ってましたが、僕は段々と不安になる。
なぜかというと、不良グループが10m先でこっちを睨んでいたからだ。
女性組は、先に帰り、男子4人がこちらを見ている状況だ。
そしたら、4人のうちの一人が、ギニュー特戦隊の隊長のように、「おーい」とポーズを決めて挨拶らしきことをしてきた。
親友は軽くお辞儀、僕は笑ってしまった。
そしたら、グループのもう一人が、「なんコイツ笑っとるんや!💢」とキレて、グループのリーダーが、「おい、こっち来い」と言ってきた。
さらにもう一人が、「おい、さっさ歩けや!💢」とキレて、僕の背中を押した。
「コイツ、あの公園(しょうぐち公園)につれて行こうぜ」っと、グループの一人が言う。
そしたらリーダー格が、「面倒くさい。この駐車場で良い」と言ったので、近くの駐車場まで連れて行かれた。
連れていく途中に、リーダー格が、僕の腹に膝蹴りを6回ぐらいしたのを覚えている。
その時、圧力で思わず屁が出てしまった。
やられている時、僕は背中に学校のバッグをからっていた僕はオタク状態なわけです。
しかし、リーダー格は屁の音が出ても笑わず、犯行を続けた。
イメージで言うと僕の格好は皇族のヒサヒト君みたいなイメージの記憶がします。
そして、リーダー格が、親友に、「お前は帰っても良い」と言ったが、親友はだんまりを続けた。
そしたら、親友が、僕の背中を押した奴に「お前も来い!💢」と言われて殴られていた。
すると、リーダー格が僕に、「ともかく、挨拶しなかったのは謝れ」と言ってきた。
僕は、謝ったが、誠意がないってことで大阪出身の奴が、「態度が悪い!💢」とキレて、10回程、本気の蹴りを膀胱辺りに蹴ってきた。
すると、リーダー格が、「いや、アイツなんであんなキレる・・・?」と逆に驚いていた。
しばし、リーダー格が、「顔を殴りてぇ・・・」と言ったら、ギニュー隊長の奴が、「いや、顔は止めた方が良い」と擁護した。
ギニュー隊長の奴は、何か嫌な予感がしていたのでしょうか、一発も僕に手を出さなかった。
リーダー格が、「裸になって、町内を歩いたら許してやる」と言ったが、「やっぱそれは嘘w」と言って、「じゃ、土下座しろ」と言ってきた。
僕が、「土下座はできません」と言ったら、暴行はまた続いた。
一番背が高い、僕の背中を押した奴が、腹に力いっぱい殴ってきた。
流石に僕も一番キチィ一発で、膝をついてしまった。
しかし、僕の髪を引っ張り、「おい!立てや!💢」と今度は頭を殴られた。
2時間は続いたリンチだったが、夕方の5時過ぎか、運が良いことに、近所の渡辺さんが出てきて、「ちょっと、どうしたと?警察呼ぶよっ!」と言ったので、リーダー格が、「じゃ、止めるわ・・・」と言った。
すると、背中を押した奴が、「はぁ?もう止めるとや!早いって」と大声で愚痴った。
僕は完全に殺されると思ったが、天の助けが来たと感じた瞬間だった。
もう止めるのかと言うのには流石に僕も「死」だったんだな、って実感した。
なので、渡辺さんの奥さんには未だに感謝していますね。
実はリーダー格は僕の幻聴に存在していて、リーダー格って統合失調症だったんじゃないかって疑ってます。最近、あるふぁきゅんと付き合っている、八王子を消そうと思っていると僕やナルさんに話していますね。
リーダー格の動機は、幻聴だと、「挨拶はどうでもいい。宏美好きな奴からしめてたんだよ」と話してます。
しかし、あるふぁきゅんみたいな、亀の脱皮状態を次の殺しに使うとか、意味ないんじゃないかって、リーダー格に幻聴で話してます。
リーダー格は、「高円宮だったらやらなかったんだよ💦」とずっと言い続けていますが、僕から見たら、高円宮でもやっていた気がしますね。
ざっと、リンチ事件の日を解釈すると、こんな感じでした。
当時、リーダー格は威嚇の為か、両耳にわざわざピアスを垂れ下げて犯行に及びましたね。
多分、この先、グループらも未来はないと僕は思っている。
僕の本当の親に恐らくやられるからですね・・・。
- 2024年7月29日
- 読了時間: 4分
大学では、福岡の親友が当時はできました。
仲が良かったのは一人です。
で、入学式のとき、僕に話しかけてきて意気投合した年上の人が、その翌日、挨拶をしても話が続かなくなりました。
僕はそこで、大学でシカトされている気がしていきました。
シカトされているっていうのは実際で、他に入学式から近いまた意気投合したグループの人と話し、「カニエって名前面白すぎだろ?あの教授wで、プログラムとかそんなん分からんしw」と言い合っていた友達たちに、後日話すと、「コイツこんなことしか言えんのだろ?」と仲間の一人に言われて、気分悪くなりました。
で、後々、福岡の友達が一人できたというわけです。
でもその友達は、僕の携帯電話を勝手に取り上げ、「今から松本が少林サークルに入部します!」と部長に電話する始末。
その少林サークルでも、孤立、無視されるんで、友達がタバコ吸ってるところに来たら、「お前はくんな!!💢」と怒られた。色々と苦痛だったら、福岡の友達が半年で退部。
僕は独り残されたのだ。
大学で独りになって、昼食を階段の近くで食べるようになると、僕だけここで食べるのか・・・と苦痛でした。
学食は、いつも満員で、独りで食べれる席が無いんです。
そこで、母がアルバイトをしろ!とキレてきたので、うどん屋の皿洗いのバイトに行くんですが、そこのおばちゃんに、「大学生にもなってから!のっそのそ動いて、もうやらんでええ!!💢」と怒られたり、「松本くん、まだそんな時間かけて一つのもの洗っているとね・・・?」とかアルバイトの女性に、「松本君、スープ見とると?w」と揶揄われたり。
辞めた後も、「は~~~松本君が辞めれて良かった!」とおばちゃんに言われる。
母が、次もアルバイトを探さんね!💢って怒ってきたので、冬になるとちょうど自転車の駐車場でチラシを配っている人が居た。
なんと、郵便局のバイトだ。
僕は、これだ!!っと思い、バイトしてみることに。
公務員の方の割に、ピアスをしている先輩も居たし、なんだか嫌だな~って働いていたら、先輩に、「おまえ、次、ちゃんとせんかったら、殴る!💢」と怒られた。
そこで、知り合った年上の、同じ大学の先輩と少し話すようになって、学校で、先輩が友達と歩いていたので、話しかけたら、「お前はついてくんな!!💢」と大声で怒鳴られた。
周りの先輩の友達も驚いている感じでした。
英語の履修の時は、「はい、今からグループを作って会話してくださーい!♪」と言われると、周りは友達を作って僕以外と組む。
僕は英語の履修はダメだと思い、諦めた。
で、大学一年生の頃の体育系教授が、大学二年ぐらいのときに、「まつもとぉ、お前、なんで少林寺辞めたんだー?惜しいことするなー」って言われたが、できるわけないだろっと心で思った。
大学3年の初めだったか、僕が黒板に文字を書けなくておどおどしていると、「はよ書けよ・・・コイツ!」と聴こえるように陰口を言われたり。
大学4年になると、卒論といって、研究した内容を皆の前で発表しないといけなくなる。
それで、卒論の人とグループで組んで仲良くしないといけないんだけど、僕が挨拶や世間話を持ち掛けても全員無視。
無視の上に、みんなは楽しそうに話し合っている。
で、明らかに僕が毎日挨拶をするんで、爆笑したのか、ある一人が話しかけてくれた。
そこで、皆が僕と話すようになり、なったは良いんだけど、15kmぐらいの自宅に来てー、と呼ばれることが多かった。
原付で僕は行くんだけど、花園までか・・・。
っと僕は一人で愚痴ってました。
で、何とかギリギリで卒業できました。
会社は、試験じゃなく面接のみで、愛知の高卒歓迎の工業系の派遣会社に勤めたというわけです。
大学生の頃は、外では美容学校のヤンキーに絡まれて殺されそうになったり、大事でした。
で、なんとか卒論を発表できたというわけです。
そして、会社でも、毎日怒鳴られて、統合失調症を発症し、ずっと無職って感じなわけですね・・・。
ここで良くなかったのは、父が僕を大学に無理やり行かせた点。
僕は音楽系の大学じゃないと大学は行きたくないなって言ってました。
ま、軽く話すと、こういう感じですが、まだ色々ありました。
ありました・・・。